budousanのブログ

つれづれなるままに気ままに、たまに更新します。

奈良時代に活躍した二人の僧

奈良時代に活躍した僧に行基と鑑真がおります。

私は二人があべこべになってしまいますので

備忘録的に個人的に記録しようと思いました"(-""-)"

間違いもあると思いますのであしからず<(_ _)>

さて、行基は渡来系の人で法相宗であり、

また土木事業(治水・架橋等)や貧民救済に活躍した方です。

わが町の近くの地域でも、行基さんの立派な銅像が見られますよ(^^)/

当時、禁じられていた民間布教をしたために国から弾圧を受けてしまいます。

それでも行基はこれらの土木事業、貧民救済や布教行動をやめませんでした。

そして民衆から大きな支持を受けていた行基さんに、時の天皇である聖武天皇

奈良の大仏建立の協力依頼をしましたよ。

745年には行基は、日本で、はじめての僧の最高位である大僧正を授かりました。

749年に亡くなった後、奈良の大仏は752年完成して開眼供養が行われました。

行基さんは、大仏完成を見ることなくこの世を去られました…

いまでも、わが町の近隣で行基さんの治水の後の湖が残っています。

ざっくり個人的にまとめてみました(*'ω'*)

 

さて、鑑真は、中国の唐の出身で律宗の高僧でした。

733年、検討士ではなく遣唐使随行として、栄叡と普照が入唐しました。

彼らは揚州大明寺に鑑真を訪ねて、日本への仏法流布のため渡日を要請します。

時の唐の皇帝玄宗は、鑑真和尚を惜しみ渡海を許しませんでしたが

それでも、鑑真は諦めず、6度目の渡航で沖縄に到着しました。

それまでの間、遣唐使随行人の栄叡は死去し、鑑真は両眼を失明していました。

ただ、最近では視力残存失明であったらしいかも?とうことがいわれています!(@_@;)

来日後、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けま

した。そして天台宗の仏典も多く伝えたみたいです。

その他彫刻や薬草の知識も伝え、悲田院(孤児院みたいな施設)も作りましたよ。

763年唐招提寺にて、お亡くなりになりました。

こちらもざっくり個人的にまとめましたよ(^_-)

 

さて、そこで二人の高僧の対比を見てみましょう。

①この二人、お互いに会ったことはあったのでしょうか?

行基は749年亡くなり、鑑真は753年来日していますので

残念ですが、会うことができなかったと思われます…

行基81歳のご生涯。 鑑真76歳のご生涯。

③僧侶の位 行基 大僧正。  鑑真 大僧都 大和上。(位は一部のみ表記)

鑑真は、中国の位も高くありますので、よくわかりません💦

備忘録もこのあたりにしておきます。

古の偉大な高僧に思いをはせて…

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